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盛岡「フォーラム」で「ヤッターマン」

この映画も、見るかどうか迷っていたのです。
だって、「キャラクターデザインのリファインは寺田克也」って言ったら、クソゲーあるいはクソ映画のフラグじゃないですか。
監督の三池 崇史も、クソ映画フラグとまではいかないまでも、まあカルト作品フラグくらいは立ちそうな。個人的に監督との相性が必ず合う、というわけではない人なのです。

そのうえ、ここ最近ネット配信などで過去のタイムボカン作品を見る機会がそれなりにあって。
それで思ったのが、「ああ、タイムボカンシリーズが名作、というのは、多分に思い出補正がかかっているからなんだな」というものだったりもするのです。

おまけに、深田恭子が某音楽番組で披露していた劇中歌が赤面もので。

ここまで悪い予感がする映画をそれでも見に行った私をほめていただきたい気分だったのです。
見に行くまでは。

以下、ネタバレあるかもしれません。

いちおう、ヤッターマンで出てくる場所は架空のもの、ということになっているはずです。だから、最初の戦いの場所も「ハチ公前」ではなく「ハッチ公前」だったりするし、ヤッターマンの秘密基地も、どうも新橋っぽい場所だけどやっぱりそれっぽい別の場所だったりするのでしょう。

架空の場所にしておくにはそれだけの必要があって、なにせ毎回毎回のあの対決であの大爆発で三悪が生きているわけですから。ということは、あの爆発が大したものじゃないのか、三悪がよほど肉体的に強いのか、どちらかでないといけない。フィクションにリアリティが入ると本当に窮屈になる。その一環としての架空の場所だったりもするのでしょう。

そのリアリティが少々中途半端に入った作品だった、ような気がした、と。
途中で落石からドロンジョ様をヤッターマン1号がかばうわけですが、あれだけものにぶつかって、あれだけのものにつぶされて、あれだけのダメージを受ける人間が、たかだか落石で、なんてギャグ以上のものにならない、ならないのに話の展開の都合上助け出さざるを得なかったりする。
本当に微妙な話です。フィクションにリアリティが入ると本当に窮屈になるなあ、と。

ヤッターワンが2名以上の乗員を想定していない、ヤッターキングが乗員の安全を想定していない、あたりはなんとかギャグで消化できたような気もします。逆に、3悪がインチキ商品で荒稼ぎする部分は、アニメだからこそできる表現なのかな、と改めて思ったりもしました。本当に、フィクションにリアリティが入ると窮屈になるなあ。

最終決戦、こういう対決ものの同様のシーンが、ああいう大きいホールで行われるのは、なにかのパロディなのか、作劇の都合なのか。それはよくはわかりませんが、そろそろなしにしてほしいなあと思わなくもないです。他になにかやりようがあるか、と言われると思いつかないのがダメなところですが。

そんなわけで、ストーリーの流れそのものには引っかかるところが多くて、「面白かったか?」と聞かれると「うーん」とうなってしまう作品なのですが、それでも見ている時にはあれやこれや懐かしかったり、お約束だったり、小ネタやカメオ出演に気が付いたり、シモネタににやけたりする作品ではあって、2時間楽しんだことは楽しんでいるのです。俳優も総じて頑張っているし。

良くも悪くも、タイムボカンシリーズの忠実なリメイクなのかな、というのが結論なのでしょうか、たぶん。

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